ノーベル経済学賞2019年 後編

「ランダム化比較試験」がどのようなものかを、具体例で見てみましょう。

「健康診断をきちんと受けている人ほど、長生きする」のは、統計データからも明らかです。健康診断を受けて自分の健康状態を確認することが、その後の健康管理につながっているからだと考えられます。血糖値や血圧などの数値が悪いと病気になるリスクが高くなることは医学的に証明されています。しかし、そもそも健康診断を受ける人は、健康に気を使っていて、もとから節度のある生活を送っている人かもしれません。そういう人は健康診断を受けなくても健康なので、その結果として長生きしているのかもしれません。逆に、健康診断を受けない人はそもそも健康に関心がなく、たとえ健康診断を受けていても暴飲暴食をしているのかもしれません。

そこで、デンマークでは、30~60歳までの男女に健康診断とその後の保健指導を行うことにしましたが、1つの工夫がなされました。無作為に選別して、一方のグループには健康診断とその後の保健指導を実施し、もう一方のグループでは実施しなかったのです。その結果の10年後の死亡率を見ると、なんと「違いがある」と言えるほどの差はなかったのです。つまり、始めから健康的な生活をしている人は長生きするのであって、健康診断をしたかどうかで変化するわけではないということがわかりました。

日本では現在、メタボ検診とその後の保健指導が、全国民を対象として実施していますが、それだと効果があったのかはっきりしません。無作為に2つのグループに分けて、1つのグループだけで実施することで効果の有無がはっきりとわかります。(きっと日本でも効果はないのだと思います。)

このように、特に傾向に違いがない人たちをランダムに2つのグループに分け、一方だけに施策をしてその効果を図るのが、ランダム化比較試験という分析手法です。経済学のような社会科学は、自然科学のように実験ができません。環境を均一にすることができないため、いろいろな要因が作用してしまうからです。そのため、今までは理論上の整合性で主張するしかありませんでしたが、近年は経済学の分野でも実験的な手法が用いられるようになってきています。

上記ではデンマークの試みをご紹介しましたが、「無作為に2つのグループに分けて一方だけに施策を行う」というのは、簡単にできることではありません。やはり先進国では情報はすぐに伝わりますので、施策がないグループの人からはクレームになりかねません。その点、発展途上国では情報の拡散が少なく、実験がやりやすいと言えます。バナジー氏、デュフロ氏は、途上国での援助でこの〝実験〟を行い、効果をあげました。

例えば、貧困地帯の子供たちの就学率を向上させるのに効果があったのは、教科書の無料配布や給食の提供よりも、子供たちへの駆虫薬の配布でした。また、インドの小学校では習熟度別補講に効果があることが証明され、やがてインド全域で実施されるようになりました。

ランダム化比較試験は、経済学で用いられている実験・観察の中でももっともすぐれた手法とされており、今では多くの研究機関、支援団体で活用されています。その中でも、バナジー氏、デュフロ氏が設立した、米マサチューセッツ工科大学の「貧困アクションラボ」という研究組織は、社会的実験の専門機関として有名になっています。

ランダム化比較試験に限らず、経済学での実験は、多くの分野で試みられています。例えば、価格をいくらに設定すればもっとも利益が上がるのか、広告宣伝は、どのように行えば、もっとも効果があがるのか、など、企業でも使われています。特にインターネットの画面では、ランダムに価格や広告を換えることができますので、比較や分析がしやすくなっています。アメリカ、中国のネット企業では、多くの経済学者を雇い、このような実験と分析が行われているとのことです。日本の企業での活用は、まだまだこれからという状況です。

また、ランダム化比較試験などの社会的な実験は、経済学に留まらず、医学(特に疫学)や福祉、教育学の分野で活用されています。この分野でも日本は遅れているようです。先のデンマークの例で見たように、医学では「高コレストロール⇒成人病のリスクが高まる」ということがわかっています。しかし、「健康診断を実施する⇒成人病の人が少なくなる」とは限りません。医学が発展していても、それを有効に使えなければ、その効果は半減してしまいます。

もちろん、ランダム化比較試験にも問題がないわけではありません。無作為に分けた一方だけに施策を行うのは、倫理的に問題であるとの指摘もあります。その情報が広がると、クレームや結果の偏りにもつながります。途上国への援助では、最近はランダム化比較試験のブームのようになっており、予算獲得のために試験を行う、という本末転倒の状況にもなっているそうです。

とはいえ、ランダム化比較試験の導入で途上国援助は、「これが役に立つだろう」という援助する側の思い込みの援助から、本当に効果のある援助へ変化が起きているとのことです。先進国の日本でも、本当に効果のある施策かどうか、より精緻に検証をしていく必要がありそうです。

最近、健康増進型の生命保険が相次いで発売されています。健康診断を受信していると保険料が割引になったり、万歩計を付けて1日の歩数で割引があるという保険です。健康診断や1日の歩数が直接健康維持に役立つわけではありませんが、健康的な生活をしている人は、病気や死亡の確立が低いからです。健康診断の受診や歩数の管理で、健康的な生活をしているかどうかを判別できる、というわけです。

2019.11.23記

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