東日本大震災から10年がたちました。テレビでもさまざまな番組が特集されています。復興予算の使い方や原発周辺の除染作業にともなう予算の投じ方などを検証する報道もあり、いろいろなことを考えさせられます。また、今だから語られることなどもあり、初めて知ることもありました。
私も被災者相談会などで何度か被災地を訪問したことがあり、いろいろと感じることがあります。そんな中から、あまりメディアで取り上げられていない見方をご紹介します。私の感想みたいなものですので、読み物としてご覧ください。
震災後10年間で被災地に投じられた復興予算は約32兆円です。その財源にするため、2013年から2037年までの間は所得税額の2.1%が復興特別所得税として上乗せされています。
復興予算のうち、約42%にあたる13.3兆円は住宅、防潮堤、道路などの土木工事に使われました。海岸線に高い防潮堤が建設され、津波の被害を受けた地域は5m前後もかさ上げされています。ところがかさ上げされた造成された土地の30%以上もが未利用地となっており、空き地ばかりが目立つ状況です。人が住まないために商店もできず、活気が戻りません。
地方はもともと、人口減少が続いていましたが、震災で他地域に移転した人も多く、人口減少に拍車がかかったという要因があります。震災後に高台への集団移転が行われたという要因もあります。さらにもう1つ、震災前から進展していた大きな要因があるように私は思います。
津波の被害を受けた地域の多くは震災前から衰退が進んでいたのです。駅から港や漁港にかけての街の中心部は古くからの商店が多く、かつては賑わいを見せていました。しかし近年は高台のバイパス沿いに大きな商業施設が進出し、住宅地もその近辺に移っていきました。完全な車社会になり、大きな駐車場がないと、お客が来なくなっていたのです。もともと、中心部から周辺部への商業施設の移転が進んでいたところに、中心地が津波の被害を受けたわけです。中心地をかさ上げして再整備しても、今までの流れを止めることはできません。震災後、復興商店街ができて賑わう風景が放映されることもありましたが、それらの多くは被災地ツアーなどの観光客向けで、地元の人はほとんど行きません。
そもそも、「電車に乗る」ということをするのは、三大都市圏と札幌、仙台、福岡、広島ぐらいではないでしょうか。それ以外の地域では、電車を利用するのは高校生だけで、駅周辺は閑散としています。これは日本国内ほとんどの地方の状況で、周辺のバイパス沿いに大きな商業施設が移っています。津波の被害は、多くの地方で進んでいる流れを加速させただけなのかもしれません。青森市や富山市では「コンパクトシティ構想」を掲げて、住民が市中心部に移り住むように促していますが、一家に2台3台と自動車が必要な車社会ではなかなか難しいようです。
この車社会。徐々に都心部にも迫ってきているように思います。すると、「駅近」は不動産のメリットにはならなくなってくるのではないでしょうか?
原発事故のため、多くの人が今でも避難生活を強いられています。「ふるさとに戻りたい」という声はしばしばテレビで取り上げられます。一方、東電からの賠償で「パチンコ、高級車、賠償御殿」という声もあります。私もいろいろな噂を耳にしました。実際、多くの賠償金をもらって、働かなくなってしまった人もいるようです。
賠償額は被災区域や家族構成などによって金額が変わりますが、4人世帯で5,000~1億円となっています。住宅を再建した場合の支援や田畑の賠償なども合わせると、2億円になることもあります。この金額が高いのか、安いのか、私は判断がつきません。突然平穏な生活を奪われた苦しみは金額で計算できるものではありません。
ただ、一方で賠償を受けた人とそうでない人との分断が生まれているようです。特にいわき市は原発避難者が多く、もともとの住民と軋轢が生じているそうです。いわき市の地価が上昇したぐらいですから、地元住民からすればやっかみもあるでしょう。一方、避難者はことあるごとに嫌味を言われるとかで、これもまたつらいところでしょう。
ここまでいかないにしても、被災地では意外と被災者に厳しい目が向けられています。仮設住宅は無料ですし、その後の復興住宅も家賃が安く抑えられていました。行政の支援も手厚く、自宅が被災していない人からすると、いつまでも特別扱いはするべきでないという見方もあります。金額の問題もさることながら、有利不利の違いが感情的な分断につながるようです。お金の問題はつくづく難しいと感じます。
最後はホッとする(?)話題です。マスコミではまったくと言っていいほど報道されませんでしたが。。。
震災当時、自宅が被災した人は避難所に避難し、プレハブの仮設住宅ができるとそこに移り住みました。やがて、復興住宅が建設され、震災後10年が経過して、ようやくほとんどの仮設住宅は役目を終えました。仮設住宅の様子はテレビでもたびたび取り上げられましたが、その多くは「早く自宅を再建したい」「早く仮設住宅から出たい」というものでした。私は仮設住宅でたびたび相談会をしていました。確かにそのような声もありました。しかし、「ここから出たくない」「毎日、楽しい」という声が多かったのも事実です。特に高齢者は仮設住宅の暮らしを楽しんでいる人が多かったように思います。
それまでは皆さん一戸建てに住んでいて、毎日顔を合わせることはありませんでしたが、仮設住宅ではお年寄りが毎日10時や3時に集まってお茶となります。軒が連なる集合住宅ですから、お互いの部屋を行き来することも多くなりました。自宅が流された被災者同士で、連帯感が強く、地域のコミュニケーションは濃厚でした。保健所の職員やボランティアが訪れることも多く、集会所を使っての食事会やイベントも盛んでした。若い家族が多い仮設住宅では子供の声も聞こえ、巡回スーパーの車が来ると、皆さん部屋から出てきて、賑やかになったものです。
仮設住宅の暮らしを不憫に思って、親を呼び寄せる子もいましたが、本音は出たくないという人もいました。そんな仮設住宅の長屋暮らしも、復興住宅の完成とともに一人また一人出ていき、徐々に終わっていきました。復興住宅でも新たなコミュニティーができればよいのですが、マンションのような造りですので、以前のような濃厚な人間関係は難しいかもしれません。ご近所同士での支え合いや交流が、心の安定に大きく寄与することを感じました。
2021.3.13記

