アベノミクスを振り返る①

日本の首相を歴代最長期間務めた安倍晋三氏が演説中に銃撃され、亡くなりました。今までの貢献も多大ですが、まだまだお元気で今後のご活躍も期待されただけに、大きな損失です。今回は安倍氏を偲んで、「アベノミクス」を振り返ってみます。なお、安倍氏の政治姿勢や政治上の功績について論評するものではありません。

「アベノミクス」は、安倍氏が2回目の首相の間(2012年12/26~2020年9/16)に実施された経済政策のことを指します。1980年代アメリカのレーガン大統領の経済政策「レーガノミクス」になぞらえて呼ばれています。7年9ヶ月にわたる、2回目の安倍政権(ここでは「第2次安倍政権」とします。)における経済政策の内容とその効果を見てみます。

安倍氏は2006年に小泉元首相の後を受け、内閣総理大臣となりました。この時は小泉政権の構造改革を継承する政策を打ち出していました。しかし、翌年の参院選挙で惨敗し、体調不良で退陣しました。

6年後に再びチャンスが巡ってきた際には、前回とは違う経済政策を掲げて自民党総裁選そして衆院選を勝ち、2回目の首相の座を手にしました。その際に打ち出したのが、「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「民間投資を喚起する投資戦略」という「3本の矢」です。安倍氏自身はそれほど経済に詳しいわけではありませんが、6年間の間に、浜田宏一氏(米イェール大名誉教授)、本田悦郎氏(元大蔵官僚)などから教えを受けたのだと思います。第2次安倍政権では、2人とも内閣官房参与という内閣ブレーンに就任しています。3本の矢はたびたびマスコミでも取り上げられましたが、その内容については具体的に報道されることが少なかったようです。

 

1.大胆な金融政策

当時、日銀はすでに金融緩和を続けていましたが、具体的なインフレ目標を設定して、さらに大規模な金融緩和を実行するように求めるものです。この頃、アメリカなど先進各国の中央銀行でインフレ目標を設定することが行われました。日本銀行は「インフレを目標にする」ということには慎重な姿勢でしたが、安倍首相は黒田東彦元財務官を総裁に据え、インフレ率2%を目標に、デフレからの脱却を目指しました。

黒田総裁は就任早々の2013年4月から、通貨供給量をそれまでとは比較にならないぐらいの規模で増やしていきました。「やれることは何でもやる」との言葉どおり、それまで日銀がやらなかった長期国債の購入やマイナス金利、さらには株式の購入まで手がけました。それでも、消費税引き上げ直後を別にすると、インフレ率はなかなか目標の2%に届きません。大胆な金融緩和を始めてから9年後の今年になってようやく目標に到達するようになりました。

大規模な金融緩和の継続は、円安ドル高をもたらしました。日本の製造業には追い風となり、外国人観光客の訪日需要も生み出しました。さらに、市場にあふれ出た資金は株式市場に流入し、株価が上昇する要因ともなりました。政府の財政赤字を補てんする効果もありました。第2次安倍政権は、幸先よいスタートダッシュを切ることができ、良いイメージは後々まで続きました。

2022.7.26記

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